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  ゲノム編集  
 
学会誌「冷凍」に掲載された記事を集めました。
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 大変な時代が到来した.神が創造し給うたあらゆる生物を人間の思い通りに変えてしまうことができる技術が遂に誕 生した.その名も「ゲノム編集(genome editing)」.生命の根幹物質である遺伝子を意のままに操作し,ある生物から人 間に都合の悪い性質をなくしたり,あるいは好ましい形質を導入する技術である.「遺伝子組換え」という言葉を聞いて 久しく,遺伝子組換え作物も現に流通している.その技術に比べると,より短期間に,より正確に,より効率的に,よ り安上がりにと,いとも簡単に生物を作り変えてしまうテクニックとは一体どのようなものであろう.パソコンやスマ ホをいじった経験のある人には,技術の中身を理解するのはさほど難しくないのではないだろうか.
 ゲノムとはデオキシリボ核酸(DNA)に含まれる遺伝子(gene)の総体(1 セット)であり,ヒトでは2 万数千個ある. そもそもDNA を構成する塩基はわずか4 種類,すなわちアデニン(A),グアニン(G),チミン(T),シトシン(C)しか なく,大ざっぱに言えば,これらの並び方(配列)でそれぞれの生物の生きざまが決まる.遺伝子に相当する部分も当然 ながら4 種類の塩基で構成される.遺伝子は,ある生物がそれらしく生きるための根源の情報であり,一方で塩基配列 のわずかな個体差は個性を生む.DNA はひも状の物質であり,図1の上に示すように「二重らせん構造」を形成してい る.DNA の随所に遺伝子が点在し,そのほとんどは生命を操るタンパク質の設計図に相当する.遺伝子の最初と最後の 部分には目印となる配列があり,遺伝子情報を効率よく伝えるための仕掛けがたくさんある.この辺の詳細は高校生物 の教科書にも載っている.DNA に格納されているおびただしい情報が然るべき時に適切に発信され表現される状態が, いわば「健康状態」である.そのほか,遺伝子は様々な面に影響し,肌や髪の色,酒に強いとか弱いとか,子は親に似 るとか,ひいては性格までをも決定すると考えられている.遺伝子操作ひとつで生物を思い通りに改造できるとしたら, 人間はまさに神の手を持ったに等しいと言えよう.
 ゲノムを編集するとはいっても,パソコン上でワープロなどを使って文字を挿入したり,削除するのとは根本的に異 なるのだが,その作業をDNA に対して,酵素や特定の塩基配列を認識する道具を使って同じような感覚でできるとこ ろに,ゲノム編集のすごさがある.それまでの遺伝子組換えの原理について簡単に言うと,まず,ハサミに相当する酵 素ヌクレアーゼ(nuclease)を使ってDNA に切れ目を入れる.糊の働きをする酵素を使って,その切れ目の部分に別の 生物などから切り取ってきた外来遺伝子をはめ込み,適度に増やした後に,何らかの方法で菌や細胞の中に無理やり押 し込んで,目的の遺伝子を発現させる.この 方法で,インスリンなど様々な有用タンパク 質が作られた.しかし,うまく外来遺伝子を 組み込めるかどうか,組み込めてもその遺伝 子がちゃんと働いてくれるかどうかは,実は 運試し的なところがあった.
 ゲノム編集を容易にするためには,まずは ヌクレアーゼの改良が不可欠であった.特定 の塩基配列にくっつく仕掛けをつなげた人工 ヌクレアーゼ(図1 参照)を,ヒトではおよ そ30 億対もある塩基配列の特定の場所(住 所,番地のようなもの)に,その配列を頼り にピンポイントで作用させDNA に切れ目を 入れるのである.切れ目のところに別の遺伝 子を挿入したり,もともとあった遺伝子を壊 したりできる.ヌクレアーゼは本来,細胞内 にあるものだが,1996 年に初代「人工ヌクレアーゼ」が登場した.これはジンクフィンガーヌクレアーゼ(zinc finger nuclease,ZFN と略記)とよばれるが,ゲノム を編集するにはいろいろと問題があったため,技術の進展には至らなかった.しかし場合によってZFNは,現在でも使 い道はあるとされている.
 ゲノム編集が本格的に始まるには,さらに十数年を要した.DNA のある部分にピンポイントで切れ目を入れるため には,その近辺の塩基配列を正確に認識して結合する仕掛けが必要である.そして,大きく分けて2 つの認識方法が開 発された.一つはTAL エフェクターヌクレアーゼ(TALEN と略記,タレン)で,2010 年に登場した.この第二世代に 当たるTALEN の誕生を契機にゲノム編集が進展することになる.次いで第三世代に当たるCRISPR/Cas9(クリスパー キャスと読む,フルネームは長いため省略)が2013 年に登場すると,ゲノム編集が加速されることとなった.塩基はわ ずか4 種類なので,塩基数が少ないとDNA 上の違う場所に同じ配列が存在する確率は高くなる.標的とする配列が程 よく長いと,DNA 上の正確な位置をピンポイントで特定し結合させることができる.TALEN ではDNA への結合にタ ンパク質を利用するが(図1 を参照),CRISPR/Cas9 では標的配列にドンピシャで結合するガイドRNA(リボ核酸)を 利用するところが大きく異なる.TALEN の登場からは研究者が自分で仕掛けをデザインすることが可能になったこと も,ゲノム編集を加速させる原動力となった.いずれの方法も,細菌が生存戦略のために持つ分子機構をたくみに利用 している.細胞内ではヌクレアーゼで生じたDNA の切れ目をつなぎ直す仕組みがある.この時に生じるエラーを利用 すれば標的の遺伝子を壊すことができる.TALEN,CRISPR/Cas9 ともに特異性や作業効率において一長一短があると されるが,必要に応じて使い分けられているようである.
 ゲノム編集の問題点は,編集後の遺伝子に残された「傷跡」が小さく,ゲノム編集された形跡がほとんど残らないこ とにある.すなわち,遺伝子組替え生物(GMO)と異なって,自然に発生する突然変異体に近く,塩基配列の変化の程 度が小さすぎて,従来のGMO を規制する法律に引っかからないケースが出ている.変異の規模があまりに小さすぎて, 通常のDNA 鑑定技術ではわからないのである.したがって,編集したDNA には,すぐわかるような目印(特殊な塩基 配列)をどこかに付けておくことが望まれる. 改造した遺伝子を各種生物に導入する方法については誌面の都合で割愛するが,たとえば動物では受精卵に極細のガ ラス製注射針を使って注入する場合が多い.ただ,注入しただけでは目的の遺伝子がDNA のどの部分にはまり込むか はわからなかったが,ゲノム編集では上述のように,その場所を正確に特定できるのである.導入がうまくいったかど うかは,成長した個体の障りのない組織(魚では鰭)からDNA を取り出して調べる.成功率はそれでも数十%どまりと される.これでも従来の遺伝子組換え技術に比べれば格段に高いと言えるが,標的部位とは別の場所に変異(オフター ゲット変異)を起こす可能性もまだあることを肝に銘じておく必要がある.現段階では実のところ,どんな生物でも思 うようにゲノム編集で改造できるレベルには達していないが,技術革新は日進月歩であり,将来的にはかなり多くのこ とが可能になることが予想される.
 ところでゲノム編集技術を使って一体何が行われているかというと,たとえば,筋肉タンパク質の合成を抑える遺伝 子を壊して(ノックアウトして)筋肉の量を増やすことが牛や魚で成功している.マッチョにされたこれらの動物は不恰 好で生きるのに不都合とも考えられるが,可食部である筋肉の割合が多いことは,将来懸念される人口爆発に伴う食料 不足にとっては朗報である.また,病気に強いなどの特性を持つ作物(稲など)も改編の対象とされている.このように して作られた生物が食品として安全なのか,自然界の生物を脅かすことにならないのか否かまだわからない.ゲノム編 集はこれまでのところ,実用的な面よりも,むしろ特定の遺伝子の働きを突き止めるような,基礎科学に貢献している 部分の方が大きいと言えよう.しかし,基礎知識が集積されなければ,応用も期待できないというものである.
 ゲノム編集については,モラルの策定に向けて世界各国で模索中である.場合によっては命にさえ関わる遺伝子疾患 の治療に用いられるならば大歓迎だが,やりたい放題にしておけば,生命力の強い組換え生物が自然界に蔓延して生態 系を破壊したり,あるいはSF さながら年を取らない人造人間が登場して世界に君臨することにもなりかねない.現に ヒトの受精卵にゲノム編集を施した研究も既に報告されている.早いところ,世界的に受け容れられる倫理規定が確立 されて先走った研究に歯止めをかけ,人類を滅ぼすような事態に至らないことを願うばかりである.

 
 文 献
 山本卓編:「今すぐ始めるゲノム編集」,実験医学別冊,羊土社,(2014).

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